2012/12/29

良い年越しを

今年も後少し。あっという間だぜよ〜

う〜。

ライブ来てくれたみんな、
ゾンビになる前もなった後も応援、支えてくれたみんな、
本当に本当にありがとうだぜよ。
年末年始休みは「DEADMAN GOES」たくさん聴いてぜよ。

写真は今年最後のLIVE、京都メトロにて「LONDONCALLING」
photo by Mai Komatsu
超盛り上がったぜよ。
ロンコリのみんなメトロのみんな、来てくれたみんな、ありがとう!!
京都男子2人美女3人、DJの山ちゃん(山下善史)対バンのLOVE LOVE LOVEの
メンバーは全員、噛み付いておきました。

今年は、
最後の最後に山ちゃんが病気になってしまったけど、
先日お見舞いにいってきたぜよ。
元気そうだった。でもまだ術後なのであんまりしゃべれないし、
笑うと痛いし、早く帰って欲しそうだったから2分くらいで帰ったぜよ。(笑)
とにかく順調に回復にむかってるぜよ。
がんばれ山ちゃん。

てことで、一年いろいろあったぜよ。
でも全部覚えてないぜよ。うへ〜

今年も残り後わずか、
良いお年をだぜよ。
最後まで気を抜かず夜道は気をつけてぜよ。

[鵜飼孝治ds]




2012/12/11

徘徊明けて


ご無沙汰しています。
各地での「夜な夜な徘徊」ご来場ありがとうございました。
おかげさまで良いライブができました。

昨日の発表にあった通り、
ギターの山内が今日、甲状腺の手術を受けました。
有名な専門医に出会えたらしくきっとうまくいった事でしょう
本人の意向もあり、TOURの一段落までは発表を控えさせてもらいました。
パーティーを愛する男ならではの計らいだったと思います。


山内貴之と言う男は、それはもう頑固な男で、
ご存知の通り
音楽家としての部分以外は突っ込みどころ満載な面白い人です。
(詳細は割愛)


高校1年15,6歳で出会い、来年で20年
もう20年も一緒にいます。

或る意味、家族以上の関係とも言えるかもしれません。

大人になり、互いの環境の変化もそりゃありましたが
他のメンバーと同じ大事な友達です。
たぶん、この先ここまでの関係はないでしょう。

世の中には孤独を嘆く人もいる様ですが
孤独だから、友人を、仲間を猛烈に欲したのかと思います。
本気だったから、手に入れる事ができたんだと思います。
一緒になんかやった方が楽しいですからね。


友達と言うのはとても不思議で、何にでも化けます
時に頼れる兄のようで、
時に世話の焼ける弟のように
さらには厳しい父親であり、全てを許す母ちゃんでもある。
色恋のように嫉妬をし、
蹴落としたいライバルにもなり、
共にバンドをやるとなれば
背中をまかす命綱でもある。

「友達感覚でバンドをやってるヤツは成功しない」なんてのがあるけど
僕は好きなヤツとやりたいんで、アロウズの関係をとても気に入っています。

昔話になりますが、僕の住んでた実家から
河川敷沿いの道を走り、バイパスを抜けると
山内の家がありました。

テレコに吹き込んだ弾き語りで
「良いのができた!」となれば、パーカーのポケットに押し込み
50cc→102cc改造したヴェスパで、その道を走った。

夕飯時だろうがおかまいなく彼の部屋に入り
無理矢理聴かせると、
「俺たち天才だ!」
「だな!」なんて騒いでました。

あれから20年
相変わらず僕はお構いなしで、少し無理をさせ過ぎたなと思います。


「お前のためにやっとんじゃねぇ。自分のためにやっとんだ。」が
口癖の野郎だけど、自分のために今は休んでもらいたい。

来年開催予定のワンマンライブ
そこでは相変わらずぶっきらぼうに下を向いて演奏しています。
是非のご来場を快気祝いとしてお待ちしています。

もう何年か前に作ったお蔵入りの曲
何となく思い出したので
寸止め1コーラスだけのデモテープではありますが
良かったら聴いてください。

風を追い越して走る
見せたいものがあるんだ
川沿い85km/hの
黒い僕らの道で

カセットにつめた3分の短い全てが
なんだか物凄いようで落とさぬように
15で見えた天井の何かの跡が
大きな地図に見えたんだ 手が震えた

静かに猛スピードで僕らは今を今に変えてく
振り向くなんて興味はない未来をこちらへたぐり寄せる
踏み出せ あの日3分が僕らをここまで連れてきてた
今でもここに立ってんだ 変わらずここに立ってんだ

[vo.坂井竜二]

2012/11/27

「夜な夜な徘徊 TOUR 2012」×MUSicK

大阪夜な夜な徘徊いってきたぜよ。
腹減ったぜよ。
くそ渋滞でくそ遠かったぜよ〜うへ〜
でもどうしても行きたかったから仕方ないぜよ〜
う〜腹減ったぜよ〜。

そういえば、24時間人間に戻れる薬を飲んでLIVEに挑むメンバーの中、
ちょっとフライング気味に飲むタイミング間違えて効き目が切れてしまったぜよ。
でも問題ないぜよ。大阪のみんなあったかいぜよ。キャンディさんも最高の笑顔だぜよ。
この日竜二くんの蝶ネクタイは真っすぐだったぜよ。
山ちゃんのこのギターの担ぎ方。
ステージ横からのナイスショットだぜよ。
写真:小松麻衣

MUSicKオーガナイザーのDJサカグチマナブくん、いつも本当にありがとうぜよ。
あ〜う〜。DJ中噛み付いてごめんぜよ〜

共演してくれた、曖昧code、uchuu、SAL、palitextdestroy、
最高のステージをありがとう。みんなLIVEめちゃかっこよかったぜよ。
要チェックだぜよ。
MCでは祝アルバムリリースのお言葉まで頂いて、本当に嬉しかったぜよ。
そしてvijonのみなさん、遊びに来てくれたみんな、本当にありがとう!だぜよ。


[ds鵜飼孝治]

2012/11/09

DEADMAN GOES

今、このブログを読んでくれているあなた
改めて、くどい様ですがご挨拶です。

僕はthe ARROWSのVocal坂井竜二です。

今日11/7に3年8ヶ月ぶりにアルバム「DEADMAN GOES」をリリースできました。

















携わってくれた全ての方に感謝するとともに、

全身全霊を注いで作り上げたアルバムをよろしくお願いします。
めっちゃいいよ!YEAH! DEADMAN GOES!

では11/23から始まるLIVEでお会いしましょう。


以降はとても長いので
興味と、お時間のある方はおつきあいください。
ありがとうございました!



_______________________________________________


さて長いです。酒か、お茶でも呑みますか。


















3年8ヶ月という時間は人生を80年とすれば約20分の1

現在の僕のに於いては約9分の1
時間をかける事が是ではないとしても、
出来上がった作品にとても満足しているだけに
思いは一入です。


音楽は瞬間芸術なので、演奏者のバックグラウンドは

聴いてるその時、意味をなさない
全ては音楽に滲み出るものですもんね。

ですがせっかくの機会なので、懐かしい写真を織り交ぜながら
遠慮なく書かせてもらいます。


【1年目】

3rdアルバム「アロイ」の発売を前にレコード会社並びに、
所属事務所との契約満了の知らせを受けました。
2009年、事務所恒例の赤坂は豊川稲荷への初詣の帰り道だった気がします。
まぁ、まさに最悪の幕開けってヤツ。
あけましてめでたくありませんでした。


うだつの上がらない僕らを拾い育ててくれた

様々な人達に感謝を伝える間もなく
僕らは鬱々としていました。

「アロイ」レコ発の代官山UNITの後、恵比寿の打ち上げ。
僕らは、この日を持って離れる事になった名古屋時代からの担当マネージャーの事、
それが象徴する、今後の自分たちの事に感傷ムードだった















しかし「マネージャーさんお疲れ!」会も兼ねていた打ち上げの締めくくり

彼はこう言いました。

「僕がいなくなるなんてどうでもいいんだ。感傷に浸っている場合じゃない。アロウズは散々ノタウチ回ればいい」
会場はシーン。。。です。


その後ちょっとして、Gtの俊司が「バンドを辞めたい」と言いました。

話し合いはこじれ、言いたく無い言葉も言ったし、聞きたく無かった言葉も聞いた。
ノタウチの始まりです。


そんな9月のメンバーの結婚式。

「おめでとう」もなんだか少し渇いて聞こえた。
あまりにもコントラストがありすぎる状態に
バンドがなければこんな思いはしなくていいけど
バンドがなければこの笑顔もない矛盾が滑稽でした。

でもそこはパーティバカ達
めちゃ盛り上げた。幸せなパーティは最高だった。


東京に帰り、毎日は元通り
周囲からは「俊司がいないなら魅力は半減。もうアロウズは止めた方がいいよ」の言葉も聞こえ始めた。


【2年目】

4人になった僕らはとにかく毎日のように集まった。
新しい生活も始まり、密航船並の心の距離にも、少し間隔ができ始めた。
僕の喉は歌うよりもミーティングでの熱弁に使われ
代わり映えのない新曲がひしめき合うも
進捗はなく、逆行してバンドが冷めて行ってると感じた。

















それでも
止まったら死ぬと思ったから、曲だけは書いた。
しかし、冷めて行くスピードはそれをゆうに追い越した。

僕は前年始めたソロ活動からの別プロジェクトTRAUMEREIで、

相方の城戸君と音楽で会話しながら自分を客観視した。
明らかに足りないところを感じ、
「ソロやる暇があったら~」という意見ももらったけど
同級生同士では見いだせない、答えを出したかった。
何よりも彼の音楽愛に大きく影響を受けた。

現在ももちろん進行中のTRAUMEREI

今思えば、これがなければ僕はまだ「仲間先行バンドマン」だったと思う。













登るのは辛く大変だけど、凄く楽しい。でも下るのはあっという間。

ましてや、途中に忘れ物をしたとなれば、取り戻るのはとても億劫。
自分たちの置かれた厳しさは誰よりも知っているからね


時間ばかりが過ぎて行き、the ARROWSのアルバムはデモからデモを繰り返してた。





【3年目】

年末からのじわりと始まったデモ音源のブラッシュアップに取りかかった。
この時点でアルバムの10曲のうち、4曲くらいが見え始めていた。
毎日の様に集まり、山内の指示のもとドラムとベースのグルーヴ研究が行われ
僕は歌詞を練り、新曲を書いた。

そんな中、3月に地震が起こった。


玄関の戸が曲がって閉まらなくなるくらい強く揺れるマンションだったので、

「ああ、死ぬんだな」って生まれて初めて思った。

街頭の消えた街、テレビから流れる映像。
できる事、できない事。したい事。したく無い事。


この日から僕らは変わったんだと思う。


アロウズの良さが伝えきれてないとか

売れそうなものを作ろうとか
もっとパンチのある言葉をとか
昇って行くメロディーをとか

全部どーでも良くなって

「全部出してやろう」スイッチを押して、ボンドで固めた。
帰りのチケットを破って踏んだ。













ライブでも新曲しかやらないことにした。
ウケるウケないじゃない。
思いきりやって、ダメだったら
みんなで大爆笑しようと思った。


山内が言ってたな。

俺は自分の音楽で認められたいし、そのためには何でもやる。付いて来れない人を励まして
一緒にがんばろう!とか言ってる余裕はない。
やるならやれ。やらないなら辞めろ。俺はやる。


僕らはもう同級生仲良しバンドではありませんでした。

でも、個として立したことで、仲良しこよしなんか吹き飛ぶぐらい強くなった。

時代として音楽をCDアルバムで聴いてもらう機会はこれが最後になる可能性はある。

僕は何か面白い事はできないか、「アルバムで聴く意味のある作品」を毎日考えた。

この時ぐらいかな。自分の作っている曲の裏に物語を感じて

みんなが制作してる間、実はずっと物語を書いてました。
気づけば50000字ぐらいのものになってた。




















『また何をしとんねん。』『どんだけ遠回り』って感じだけど
やろうと思った事は全部やった。
みんなも、何度も読んでくれたりと
つきあってくた。(これ凄いと思う)

誰もが知る小説家を担当されている角川書店の方に読んでもらったりした。
「ド素人がよくやるな」と友人達に言われたけど、今思うとホントそうだなと思う。
これだ!と思うと僕はなりふり構わずのようですw。

結果、このアルバムにストーリーを感じる理由になった。
何よりも言いたい事を整理するきっかけにもなったのが嬉しい事。
いつか物語の方も発表したい。
 

そうこうするうちにアルバムもほぼ完成した。



【4年目】
長くレコーディングしたせいか、浦島太郎のような状態。
シーンを見れば、いろんなバンドが出てきていて、
相変わらずカッコいい人達はカッコいいまま。
ソロになった人、別バンドで華々しく再開した同期もちらほら


そんな中僕らは
ドラムとベースのレコーディングで曙橋のスタジオにいた。

ハイエナのようにディスカウントされて行くタイミングを待ちながら
「ここぞ」のタイミングでスタジオを押さえた。
スタジオ側は迷惑だったかもしれない。ありがとうFAVRE。


































録リ終えたドラムとベースの音源を持ち帰り
これ以降、全てアロウズの共同作業場「アジト」で録音。
エンジニアの友人谷健太君の機材を借りたり(長期)

この先も自分たちで活動して行くために機材を大量に購入した。
メインエンジニアはメンバーの山内。ディレクション、プロデュースももち山内。


ボーカルブースなんか
マイクスタンドを3本「T字」にたてて
吸音材で囲ったものだった。



















何百万円もするマイクでやらしてもらってた以前の環境に比べれば、
なんともまあな状態だけど全然不安がなかった。思いっきり歌った。
メンバーのど根性も凄まじかったな.

とくに山内。





















出来上がった音を聴いたミュージシャン達から
「とても自主制作とは思えない音、むしろ音がいい」と言ってもらえた事は
とても嬉しかった。

音源が6月に完成し、作品を広めるために

僕は自転車をこいだ。
ポニーキャニオン時の担当佐藤さん、前任マネージャーの山田君のアドバイス。

流通ウルトラヴァイヴ奈雲さん、

デザイナー関山雄太くん
カメラマン山川哲矢くん
ゾンビになってくれた芸人長嶋智彦(ダーリンハニー)



毎日のようにPVの打ち合わせにつきあってくれたVantanの学生達、広報の影正君、















そして出来上がったPV、彼等が足場を作ってくれた。






その後、過去に世話になった媒体の人に
僕らを紹介してくれと直接会いに行った。

ナタリー大山さん、伊藤さん、
ゾンビの茶番におおいにつきあってくれた。
the ARROWSに緊急事態!? 謎の“ゾンビ襲撃映像”公開

MUSICA 有泉さん、QuipMagazine こやまさん
音楽と人 樋口さんをはじめ、協力してくれる人が沢山いた。

あの日、初詣でお別れを知った人達のとんでもない尽力に心から頭が下がった。

「アロウズは散々ノタウチ回ればいい」を乗り越えることができた。
まさにサワディカップと言いたいです。














色々あったけど、関係ないんです。
僕らのアルバムを楽しみにしていてくれた人がいる事の
なんたる嬉しい事か。

メンバー、サポートギターのTakk,その家族、友人、関係者各位、

コメントに協力してくれた先輩、同期、後輩の方々。
そしてアルバムを買ってくれた人。

アロウズをこれからもどうぞよろしくお願い致します。
このアルバムがあなたのもとに届けられた事をとても感謝しています。

長文、読んで頂きありがとうございました。

the ARROWS 坂井竜二